COVID-19で変わる都市計画の密度規範

「密度」が、都市計画における基本的な計画指標のひとつであることは異論の余地がありません。例えば、郊外部における土地区画整理事業による住宅地開発では100人/haという水準がよく用いられていますし、また都市計画で定められている用途地域では、建物面積の利用強度に着目した建蔽率や容積率が指定されています。人に着目するか、建物に着目するかの違いはありますが、いずれも単位面積当たりの土地利用強度に着目する指標といえます。

一般的に、経済効率性の観点からはできるだけ密度を高めることが望ましいわけですが、一方で密度を高めすぎると混雑現象や居住環境の悪化等の外部不経済(過密状態)が発生してしまいます。そのため、どのようにバランスをとって適切な密度を定めかが議論になってきたといえると思います。住宅地の場合、日照条件、一戸あたりの規模・居住人数(世帯規模)等に着目すると、こうした密度は住宅形態によって定まり、戸建てであれば100~150人/ha程度、14階程度のフラットであれば250~300人程度、高層囲み型配置であれば400人程度等と試算することができます。もちろん、日照条件をそれほど重視しない最近のタワーマンションの密度はこの限りではありませんが・・

 

都市計画の歴史に目を転じると、密度に端的に言及したキャッチフレーズとして、英国ニュータウンの始祖レイモンド・アンウィンが1912年に出版した「過密から得られるものは何もない!(Nothing Gained by Overclouding!)」という有名なパンフレットのタイトルがあげられます。ロンドンに人口が集中し、労働住宅を中心に過密問題が発生している状態を批判し、エベネザー・ハワードが構想した郊外部における田園都市建設の必要性を訴えたのです。

このキャンペーンは成功し、英国ではレッチワースとウェルウィンという2つの田園都市が生まれました。ただし都市計画としてのレイモンド・アンウィンが提唱した密度が12~20戸/エーカー(30~50戸/ha)、3人/戸とすれば90~150人/haと低い密度だったこともあり、厳しい批判にもさらされました。

特に有名なのが、米国のジャーナリスト出身の経済学者ジェイン・ジェイコブスの批判です。1961年に出版された「アメリカ大都市の死と生(The Death and Life of Great American Cities)」では、高い人口密度で、子供、高齢者、企業家、学生、芸術家など多様な人々がコンパクトな都市に生活することが望ましいと主張しています。また、1965年には、都市計画家クリストファー・アレキサンダーが「都市はツリーではない(A City is not a Tree)」という論文で、近隣住区で構成されるニュータウンのフィジカルデザインと、実際の人々の交流範囲の広がりの矛盾を指摘し、その後のニュータウン計画にも影響を与えました。

こうした批判や、開発利益を求める都市開発事業者のニーズもあって、ニュータウンを含めて、都市開発は高密度を許容する方向に動いたように思います。特に、規制緩和が進んだ1980年代後半以降は、都心部では民間投資が誘導されるようになり、今日ではオフィスだけでなく高層の住宅開発も当たり前となりました。

 

ただ、COVID-19の感染が拡大した結果、「感染拡大を予防する新しい生活様式」として、3密(密閉、密集、密接)の回避が求められるようになり、密度の社会的規範が大きく変化したと思います。これまで許容されていた高密度が忌避されるようになったのです。

当初は一時的と思われた対策が長期を要するものとなる中で、テレワークやテレビ会議を始めとして、新しい技術、生活様式が広がりをみせ、そのメリットに対する理解も広がったように思います。地方への移住意向が広まり、「適疎」という価値観も見直される可能性がありそうです。

多極分散型国土の形成、地方創生が目指してきた東京大都市圏への一極集中対策が、COVID-19を機に進む状況は、素直に喜べないところもありますが、新しい日本のかたちを作るきっかけとなるのも間違いありません。アフターコロナを見据えて良い面を伸ばすことが肝要だと思います。

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